人は、案外、ジンクスを捨てられない??

人は、案外、ジンクスを持って生きているのかもしれない。

 

幼いころ、横断歩道の白い部分だけを歩かないと、悪いことが起こるような気がした。

でこぼこ道の、凸の部分だけを、どこまで歩いていけるのか試した。

 

お母さんに、背中を撫でてもらって起きた朝は、何か良いことが起きるような気がした。

 

黒猫を見ると、不吉なことが起こるとか、霊柩車を見かけると親指を隠さなくてはいけなかったり…。

 

もっと、小さなことでは、寝る前にトイレに行かなかったら、必ず、夜に目が覚めてしまったりっするような…。

 

物理的や生理的なことや、そういう「気がする」といったことも含めて。

 

 

熱があるような気がして、体温計をはかったら、思っていた以上に熱があって、

より一層、体調が悪くなってしまうような…。

 

 

人間は「能動的な受動態」であって、然るべきことなのかもしれない。

 

鶏が先か、卵が先か…というレベルに近いもので。

 

ただ、そのジンクスを無視して生きていくこともできる。

ジンクスというのは、自分自身が自分の経験の中で、培ってきた「統計学論」であると同時に、悲観的なことを含めて、自分自身を守る手段でもある。

 

「朝、黒猫を見たから、今日は悪いことがあった。だから、仕方ない」と

諦めきれるポジティブさでもあり、黒猫を見たから、きっと悪いことが起きるという自己暗示でもあり…そもすれば、さして悪いことが起こったわけではないのに、過剰に物事を悪く捉えてしまうことであったり…

 

 

…つまり。

自分の体質や性分を知り、それを上手く逃がす方法として「ジンクス」があるのであり

その一方で「自分で決めたジンクス=ルール」に捕らわれて、前に進めないこともある。

 

「大殺界だから、今年は婚期ではない」と開き直ることも、ある意味の手段ではあるが、そのために婚期を逃すことにもなりかねない。

 

その反面で「今期は絶好調!」の勢いで、結果を焦りすぎ、判断を見誤ることもある。

 

 

 

とどのつまりは、自分自身がどの方向性で生きていきたいかという部分には、なるのだけれど、それを決めるのは自分であることには違いないが、それを聞いている他者には、理解不可能で、容易に受け入れがたい部分も生じることがある。

 

「今日は、気圧が高いので片頭痛が起こると思うので、商談の日にちを変えてもらいたい」…果たして、それで納得できるものなのか。

 

ただ、やはり、完全に否定できない部分として、その人は、そうやって悪いことも良いことも、それなりのジンクスと共に乗り越えられてきたということだろう。

 

逆を言えば、起死回生のタイミングで「今日は、自分にとって前に進むべき日なのだから、多少の困難は、仕方がない」といったポジティブな部分も、兼ね合わせているだろうから。

 

 

そう考えると、猿人類から、「人間」に進化したことにより、高度な知能が備わった我々は、日々「考えなくても良いこと」と戦っていると言えるのではないかと思う。

 

 

進化の歴史の人類として、最も誇れるものが「感情の起伏」であり、それに対して、考え、日々、それをアップデートし続けられることなのかもしれない。

 

それは…どんな便利なアプリよりも、具体的で、不確かで、それでいて、人間の唯一の「本能」なのかもしれない。